お使いついでに商店街の本屋で立ち読みをしていた。年末になると週刊誌の発売が滞るから、今のうちに全てチェックしておきたくなった。かと言って毎週購入してまで読んでいるかというとそんな事はなく、前の席の萩原が買ってくるから、授業中の暇つぶしになんとなく読んでいるだけだった。金を払ってまでは読む気がしないが、あれば読む。そんな感じで毎週読んでいたから、学校が終わって二日目の今日が発売日の週刊誌なんて本当はどうでもいいのだが、まぁタダで読めるならって事で立ち読みしに来た訳だ。つまり、暇だった。
私立青海学園が出来てからは学生で賑わうようになったが、それ以前は寂れた商店街だった。特に漁業が盛んでもないこの町は完全にホームタウンで、日中大人は電車に乗って仕事に向かう。家に残るのは老人か退屈な専業主婦くらいだったからだ。それも駅から反対方向に少し行ったところに大きなスーパーが出来てしまってからは益々人口は減って、商店街が賑わうことは殆どなかった。
そんな中の高校設立で、駅から学校に向かう生徒の通学路となったこの商店街は、若者の経済力を餌に蘇りつつある。廃業寸前だった和菓子屋さんは今では学生のたまり場となっているくらいで、その品質を維持しようとし続けた店の主人の努力が実った形だ。他にもそれなりに流行に敏感な学生の為に方針転換を図った店もいくつかあって、今俺が立ち読みに来ているこの本屋もそんな中の一軒だった。
しかしまぁ、学生相手の商売も楽ではないと言う事だろう。本来は儲け時になる平日も、こうして学校が長期休暇に入ってしまうと悲惨な状態だ。この店舗の規模にして店員一人というシフトも驚きだが、それで事足りてしまうという実態にも驚きだ。事実こうして俺が立ち読みをしている以外は、今流行の海外スターの写真集を買いに来たばあさんが店員を困らせているだけだ。そのお目当ての品があるかどうかも怪しいもんだと思う。
そんな状態だから、本来なら立ち読みなんて強くお断り申し上げたい所なのだろうけど、学生にはいい顔をしておきたいから追い払えない。そればかりか俺の方ががたいがいいので、明らかにひ弱そうな店員一人では心元ないというのもあるだろう。そこを理解しながら、買い物袋を床に置いて悠々自適に立ち読みを続ける俺は、やっぱり優等生とはかけ離れていた。
あんまり長く立ち読みを続けるとセール品のばら肉が悪くなってしまうから、しぶしぶ店内を出ると、目の前を一台の自転車が通過していった。自転車には私服姿の苧ヶ瀬修一が乗っていた。
「あいつ」
休日にこんな所で何をしていたのだろう。やたらとゆっくり進んでいたから確認できたのだが、その前籠に買い物荷物が入っているなんて事もない。やっぱりいつものようにイヤホンを耳にさして、自転車に身を任せているように見える。
声をかけてみようかと思った。イヤホンをしているから聞こえないかも知れないが、あの速度なら少し走れば間に合う。急に呼び止められたらびっくりするかも知れないけど、いい機会だ。
「つうかあいつ俺の事しってんのかな」
あいつはクラスの連中とあんまり喋らないくらいだから、もしかしたら知らないかも知れない。そんな俺にいきなり後ろからダッシュで近づかれて声を駆けられたらびびりやしないかな。
そんな事を考えているうちに、苧ヶ瀬は急にペダルに足を駆けて力強く漕ぎ出した。
「あ」
気付かれたのだろうか。あの速度を出されたら追いつけそうにない。そのまま商店街を抜けて駅の方向に折れていった。
俺はまたチャンスを逃した。
「ばかばかしい」
告白する機会をうかがっている女性とでもあるまいし、何をやっているんだ俺は。
そういえばこの前手紙くれたやつ、連絡してないんだっけ。どこかで話した事のある子なら少し可愛そうな事をしたかも知れない。
そんなことより苧ヶ瀬だ。
元から学校が楽しくて通っているという雰囲気ではない。そんなあいつが休日登校する可能性は考えにくい。それに私服だったし。駅の方に自転車で向かった訳だから、きっと自宅に向かったのだろう。自転車登校という事実になぞらえても、それが妥当だ。
問題はどこに行っていたのかという事だ。あの速度から言ってパンチラ坂を下ってきた訳じゃなさそうだ。もとより学校を通り過ぎたさらにその上には住宅街とみかん畑くらいしかない。友達も多そうじゃないから、誰かの家によった訳じゃないだろうし、まさか大のみかん好きなんて・・・・というかみかんが好きでも畑に行く理由にはならないし、自転車に乗りなれた男が通いなれた下り坂をあの速度で降りていくこと自体が考えられないので、却下だ。
そもそも俺は推理なんてものが得意じゃない。比較的気分で行動する事が多い俺にとって、人の行動の動機を探るなんてのは無理難題だった。だって、衝動で人を殴っちまうこともあるかも知れないし、殴りたいと思っても、殴らない事だって十分にある。痛いのは嫌だし、疲れたくない。徹底的に探偵には向いてない人間だ。
だが、なぜか気になる。
なぜ苧ヶ瀬なのか。それはおれ自身にも分からなかった。
苧ヶ瀬と俺の共通点はほとんど無い。それが見当たらないくらい、俺は奴と接点が無かった。あるとすれば、他の連中と比べていいイヤホンを使っている事くらいだろう。確かに気になるには気になるが、そんな些細な事が俺を支配しているとは思えない。当たり前の事だが、俺に男色の気は一切ない。
それなのに、なぜ俺の視線はあいつの背中を捕らえるのか。
原因が分からず、不気味過ぎだった。
俺は何に囚われているのだろうか。
答えが、知りたかった。
家に帰ると、久しぶりに親父が帰宅していた。一ヶ月ぶりだった。
「おお、親父、帰ってたのか」
「おお久しぶりだな」
「隼人お帰りなさい、お使いご苦労様」
買い物袋をお袋に手渡して、ちゃぶ台に向かってあぐらを掻く親父を目の前にして腰を下ろした。
「もうすぐ年末だからな、仕事ももう終わりだ」
親父は海外出張が多かった。と言うより、その仕事の殆どは海外に向けられていた。細かい事は知らないが、特許関係の営業をしていて、その関係上取引相手がほぼ海外らしい。帰国したその足で会社に泊る事はざらで、ひどい時にはそのまま海外、国から国へと直接渡ることもあるらしい。
そんな仕事リズムの親父は、翌日の仕事の場所によってはわざわざ帰ってこないのだ。空港の便などもあって、適当にホテルに泊ったりしているらしい。
そこまでしているのに俺達家族が都心に引っ越さないのは、親父が育ったこの故郷を偉く気に入っているからだった。
「やっぱ久しぶりに帰ってくるといいな。この潮の感じ、この坂の感じ。やはり日本人には自然が必要だよ」
そんな哲学的な事を語りながら、お袋が出したお茶と、俺が買って来たばかりのおはぎを口にする。
「晩御飯も近いんだし、あんまり食べちゃだめよ」
台所からの母の声は良く通った。そういえば昔、父はこの声に惚れたとか言っていたな。どうでもよいが。
「そういえばもうすぐクリスマスだが、お前は今年どうすんだ」
ふいに親父が俺に降る。
「なんにも。いつもとかわんねぇよ」
「そうか、じゃあ今年も彼女と一緒か。いい子が側にいてよかったな」
親父は仕事一筋な堅物です、と周囲に宣伝しているかの外見なのだが、なぜかこういう浮いた話が大好きだった。
「別に有美とはそういんじゃねぇってば」
そんな親父は毎年この手の話題を振ってくる。そしてそんな時は大体お袋が側にいて、
「あら、あんないい子なのに、そんな乱暴な言い方」
といらぬフォローが入るのだった。俺にとっては追い討ちの他ならない。
「そうだぞ、いつも面倒みてもらって、少しは優しくしてやれよ」
「ふん」
「俺だってなぁ、母さんを落とすのは苦労したんだ」
「いやですよそんな昔の話」
「はいはい分かったよ」
というのが年末のいつものパターンだった。我が家の両親は共に行動できる時間が少ないからなのか、未だにこうして熱々だったりする。母子家庭の萩原には羨ましいと言われたが、当の本人にはそうは思えないってのが現実だったりする。
「そうそう隼人、後で有美ちゃんのお宅に、これもって言って頂戴。作りすぎちゃったからって」
手渡された袋にはビンが入っている。何回も持っているから、その瞬間に中身が分かるようになっていた。
「ああ、んじゃ今行って来るよ」
この会話の流れに居づらさを感じていた俺は、丁度いい口実を利用して席を立った。夜風に当たって気分転換でもして来た頃には、少しは落ち着いているかも知れなかった。
「もうすぐお夕飯だから、長居しちゃだめよ」
「しねぇよ、そんなん」
俺はそういって、玄関の扉を投げつけるように閉めた。
沿岸のホームタウンは随分と家が立ち並んだが、それでも街中に比べればまだまだ田舎だった。街灯は十分に整理されているとは言えず、全体的に薄暗い。思わず身構えてしまいそうだが、未だに変質者だとかその類が出たという報告はない。
玄関を右にでて、次の角を左に折れる。そうしてちょっと歩いて右の団地に入ってすぐが有美の家だ。ここら一体では比較的新しい団地で、六年前で新築だったから、未だに家は綺麗だ。沿岸だけに外壁の侵食も早いが、この一体は引越し組み、いわいるちょっとした富裕層だから、マイホームの管理には気を使っている。有美の家もその例に漏れていない。
玄関まで来て、携帯を持ってくるのを忘れている事に気がついて、仕方なくインターホンを押した。
有美の両親はとても親切で人当たりもいいが、それゆえに、こういうちょっとした用事の時は極力合いたくなかった。
インターホンから有美の母親の声が聞こえ、俺はマイクに向かって声を吹きかける。
「羽立です、有美いますか」
「隼人君?ちょっとまっててね」
お母さんの優しい声がマイクから伝わってくる。機械を通した偽者の音声なのに、その優しさはここまで届いてくる。
有美が引っ越してきた理由は喘息だと聞いたから、娘に対する愛情はよほどなのだろう。それでも過保護だなと思ったことは無かったから、とことん善良な両親なのだろう。
「隼人?どうしたの?」
私服の有美がサンダルを引っ掛けて玄関から出てくる。ニット一枚じゃ寒いだろうに。
「おう、これ、お袋がもってけって」
俺は裸で持ってきたビンを、門柱越しに渡す。
「また作りすぎちゃったって?」
「ああ、まぁそんなの口実だろうけどな」
親父の趣味で梅酒を造っているのだが、どういう訳か作りすぎるのが羽立家だった。母親はあんまり飲まないから、その消費元は限定されるのだが、学習しない親父だった。
「いつもありがとう。お父さん、これおいしいって言ってて」
「そりゃあよかった」
大きな声じゃ言えないが、確かにおいしい。親父の長年の研究と拘りが詰め込まれていて、その風味で育った俺には自然と染み渡る味だった。
「上がってけば?」
有美は門柱に腕を組んでもたれ掛かる。胸が少し寄せられて、ニット越しでもその膨らみが分かる。有美は着やせするタイプで、スタイルが良かった。身長の割りに腰の位置が高く、つまり足が長かったし、やせ過ぎという事もない。学校の連中が騒ぐだけはあった。
「いいよ、晩飯だから早く帰って来いってよ」
「そうなの?」
「ああ、親父帰ってきたしな」
「あ、お父さん帰ってきたんだ?んじゃお礼を兼ねて挨拶しに行こうかな」
「やめとけよめんどくせぇ」
「なにそれ」
「親父が喜んじゃうんだよ」
「ふふ、知ってる」
親父は有美の事を大層気に入っていて、うちに訪れるたびに食卓を囲んでいたりした。そして酒が入ってくると調子に乗って「息子を宜しく頼む」とか言い出すから面倒くさかった。それにさっきそんな空気になったばっかりだから、余計にいい予感がしない。
「でもまたお話したいな。お父さんいる内に呼んでね?」
「ああ、近いうちにな」
「そ、近いうちにね」
有美はあの男とはどうだったんだろう。いつの間に仲良くなってたのかも分からない。割と一緒にいるつもりだったが、そんな事全く気がつかなかった。俺には言えない事だったんだろうか。俺がいたから上手くいかなかったのだろうか。有美はいつのまに、大人になっていたんだろう。
最近こいつと話しているとそう思うことがある。
俺とこいつの距離は、近いようでいて、遠い。
「何かあった?」
有美が俺の表情を伺っている。その表情はいつものように柔らかく、優しい。
「いや、別に」
「隼人がテンション低いときは、大体そう」
「そうか?低いか?」
「低いよ、私には分かる」
根拠がないことを自信満々に言う事がある有美だったが、不思議とそれが外れた事はなかった。「さっき、あいつを見たんだ」
「苧ヶ瀬君?」
「ああ。商店街を自転車で、私服だった」
有美は組んだ片手を緩めて、頬杖をついて、仕方ないなぁと言った様子で俺を見ている。
「って事は学校に行ったんじゃないんだね」
「しかも、買い物って訳でもなさそうだった。あいつ、あんな所で何してたんだろ」
俺には見当が全くつかない。奴の情報は足り無すぎた。三年間通って、休日にあいつを見たことが初めてだった。商店街は徒歩で通える距離だから、あいつが頻繁に通っているならもっと遭遇してもよさそうなのに。
「今日、アサ子に聴いたんだけどさ」
有美は門柱から離れて、腕を組み直していた。
「苧ヶ瀬君、三丁目の方に住んでるらしいよ」
「それ本当か」
「アサ子が嘘言ってなければね」
三丁目。駅から南側に広がるエリアだ。奴が曲がっていった方角から真っ直ぐ行けば三丁目にぶち当たる。方角的には正しい情報だ。
でも、なぜ三丁目に住んでいる奴がこんな所まで来ているのだろう。
「行ってみれば?それで、直接話してくればいいじゃない」
「え?」
三丁目は広い。それだけの情報では家を探すのは非常に骨だ。まだ苧ヶ瀬という苗字が珍しいのが救いだが、それでも一日は掛かるだろう。そこまでする事なのだろうか。
「アサ子、あの近所らしくて。隼人が探ってるって言ったら、住所、教えてくれたよ」
「本当か!教えてくれ!」
しめた、と思った。あいつの家まで行けば、何か分かるかも知れない。俺が囚われたその原因が。
「教えてあげてもいいけど」
「ああ」
「ちゃんと一日で、片付けてきてね」
有美は片腕を寒そうに抱えながら、視線を横に流している。
「クリスマスもそんな調子じゃ、嫌だから」
「ああ、一日あればあいつと話すのなんて簡単だからな」
「んー、まぁいっか」
「どうした?」
「んーん、住所、メールしといたげるから」
「分かった、あんがとな、有美」
俺はそういって駆け出した。これで大きな前進だ。原因は分からないにしても、何かが分かるかも知れない。そう思ったら駆け出さずには居られなかった。