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2010年2月27日土曜日

空色イヤホン 三章「初恋」 望月有美編



 初恋の相手が鈍感だと、苦労すると思う。
 初恋っていうくらいだから、人生で始めての恋で。まだ相手との距離の縮め方とか、自分の気持ちの伝え方とか、そういうことが全然分からなくて、何もかもが手探りで。
 そんな初恋の相手が鈍感で、しかもその人が身近な人だったら、やっぱり苦労すると思う。
 きっとそのままじゃ相手の人は気付いてくれない。でも、自分からそれをアピールする方法が分からない。うまく行かなくて、今の関係が壊れることが怖くて、気持ちも伝えられなくて。
 もしそんな初恋が自然に冷めてくれなかったら。きっとその人の初恋はずっと終わらない。
 だって答えが出ないから。その近しい人と、きっとずっと同じ距離で。相手も気付かないから、始まらないし、終わらない。二人の関係に変化がない。
 だからきっと、次の恋も始まらない。そうやって、次のステップに進む事が出来なくなってしまう。
 だから、初恋の相手が近しい人で、鈍感だと、苦労する。
 だって私の初恋も、そうだから。

 隼人と初めて会ったのは小学校を卒業してすぐの、三月。
 喘息だった私の健康を考えて、少しでも空気のいい所にと、両親の提案だった。
 私の喘息の原因はどちらかというとストレスからのウェイトが大きかったけれど、それで生活環境を一新出来るならと思い、それに同意する形だった。
 いじめ、と呼ぶにはまだまだかわいいものだったけれど、私にはそれが少なからず負担になっていて。それでも自分の力ではどうにもならなかったから。
 新居について、両親が色々な手続きをしに行くからと言って出かけていった。私は両親に薦めれたとおり、家の近くを迷子にならないように慎重に散策する事にした。
 住み慣れた東京よりもずっと空気が澄んでいたのが嬉しかった。東京の空気にはちょっとほこりっぽい匂いが含まれていたのだけれど、ここの空気は少し生臭いものが含まれていた。当時の私にはそれが潮の匂いだったなんて分からなかったのだけれど、不思議とその生臭さが不快じゃなくて、嬉しくなったのを覚えている。
 しばらく歩いて団地を一周した辺りで、一人の男の子と出遭った。その男の子は身長が私と同じくらいであまり高くなかったけれど、綺麗な顔立ちをしていた。最初は話しかける気はなかったのだけれど、私が歩いているのをみた彼は、シュートの練習をやめて私をじっと見つめていたから。
「あの、ここの子?」
 あまりにもまっすぐに伸びてくるその視線に、私は突き刺されたと思った。
「ああ、そうだよ。君は?みない顔だ」
 見ない顔だ、なんて。随分と大人びた言葉遣いをする子だな、と思った。
「うん、今日、ここに越してきたの」
 私を突き刺す人は多かったけれど、この子の視線は、今までのそういう視線とは違うと思った。
 小学校で私に突き刺さる視線は、卑下や敵意、妬み、哀れみや同情と言った、そういう類のものだった。
 けれど彼のそのまっすぐな視線は、今までの他の誰よりもまっすぐで、なのに心地よかった。だから私も、臆する事なく喋ることが出来たのだと思う。
「そうか、近いのか?」
 彼の質問に、私は一旦あたりを見回して、今通ってきた道を頭の中でゆっくり整理してから、新居があるであろう方向を腕から指さして、「あっちらへん」と言った。
「そうか、んじゃ近いな」
 今にして思えば、よくその説明で理解できたなぁと思う。きっとバカな女だと思われたんだろうな。
 私はここの空気の事がもっと知りたくて、勇気をだして彼に聞いてみることにした。
「ねぇ、ここの空気は少し湿ってて、なんか生臭いのが混ざってるけど、これっていつもなの?」
 幼き私の純粋な疑問だった。なぜならその時の私の最も関心深いことは空気にあったから。空気が違うということが、ただ単純に一番の驚きで、感動だったから。
 でもやっぱりこれも今思い返せば、相当に無礼な事だった。よそ者が地元のものに、「空気が生臭い」なんて。これが大人同士の会話なら、大変な事になっていたかも知れない。
 しかし彼はそんな愚かな私の質問も、茶化すことなく答えようとしてくれた。
「生臭い?んー、俺は慣れちゃってるからわかんないんだろうけど、海が近いからかもね」
 彼はそういって、腰に抱えてたバスケットボールを二、三回弾ませて、壁に備え付けたゴールへシュートした。
「海?すごい、近くに海があるの?」
 私は興奮した。都会暮らしの私には、海は憧れだった。勿論泳いだことが無かった訳じゃないけれど、水着を着るといえばプールしか無かったから。ずっと、見てみたい、出来れば泳いで見たいと思っていた。それを両親に言う事はなかったけれど。
「ああ、十分も掛からないよ」
 彼はリングに当たって跳ね返ってきたボールを上手くキャッチして、もう一度シュートを放った。
「へぇー、いいなぁ」
 私は海に恋焦がれた。海は、いったいどんな姿だろう。いったいどんな香りで、どんな音なのだろう。テレビ画面からは伝わってこない、海の息吹を体で感じてみたかった。
「いってみる?」
「え?」
「海、すぐだけど、行く?」
 彼は見事リングをくぐったバスケットボールを拾って腰に抱えて、私に再びまっすぐな視線を突き刺して、そう聞いてきた。
 行く、と即答しそうになったが、それをぎりぎりの所で堪える。両親には近所を散策してなさいとは言われたけれど、海まで行っても平気だろうか。もし私が海に行っている間に帰ってきたら、さぞ心配するのではないだろうか。
 しかしそんな理性も、海に恋焦がれた私の欲求を受け止めるのが精一杯だったようで、その時の私は完全に思考が停止してしまった。
 どんな表情をしていたかはわからないけど、そんな私を見て彼は、
「すぐ行って帰ってくれば大丈夫。海は逃げたりしないから、またいつでもいけるようになるし」
 と諭してくれたのだった。
 なんて素敵な事を言う子なのだろう。私は関心してしまった。
 海は逃げたりしないから。そのフレーズに私の幼き心はときめいた。
 それに私は、両親と待ち合わせをしている事など一言も口にしていないのに、どうして分かったのだろう。
 私はこのフレーズで彼を完全に信じ込んでしまった。知らない人についていってはダメと、散々両親には口をすっぱくされていたけれど、こうなってしまえばもう関係が無かった。この人は大丈夫。
 だから不安になる事なんてなんにもなかった。
「海、行きたい」
 私がそう言うと、彼は「わかった」と言って、ボールを庭に向かって投げ入れて、私に手招きをした。
「こっちだよ」
 彼は手招きをした反対の腕を水平に上げて、海の方向をまっすぐと指し示した。
 私は親について行くカルガモの子供のように、彼の後に続いた。彼は必要以上の言葉を発しなかったけれど、不思議と、間が持たないという事はなかった。春を控えた晴天は心地よくて、少しずつ濃さを増していく潮の香りが、私を出迎えてくれているような、そんな気さえしていた。
 団地を抜けると、高いコンクリートの壁が姿を現した。T時路にぶつかったようになっていて、その壁は左右に延々と伸びている。海を間近で見たことがない私は、この壁が防波堤という塀だという事を知らなかったから、そこで行き止まりになっていると勘違いを起こしていたのだった。
「海、ここなの?」
「そう、この向こう」
「向こう?だって、行き止まりだよ?」
 私の疑問は真剣だった。まさか自分の身長より高いこの塀をよじ登れるとは思わなかったから。もちろん彼もそんなつもりは無かっただろけど。
「あっちに出られる所があるんだ。おいで」
 彼はそういって、立ち止まる私の左手を引っ張って走り出した。引きずられるようにして私も走り出す。そしてそのまま、防波堤の切れ目にうずくまるようにして設置された階段を駆け上った。
「ほら、あっち」
 転ばないように階段をしっかりと一段一段かけのぼって、顔を上げた。
「わぁ」
 前髪が風で流れて視界から消えると、今度は白と水色と深い青色のコントラストが飛び込んできた。
「きれい」
 本当に綺麗だった。驚くほど白い砂浜と、澄み渡った晴天と、一際濃くきらきら光る、青い海。私の瞳に映し出されているものはそれだけで、それが全てだった。
「すごい、海、すごい!」
 風が心地よかった。今まで生きてきた中で、一度も浴びたことのない風。湿っていて、冷たくて、少し生臭くて。でもとても綺麗で。そして私の気管に一番優しい風だった。
 テレビの画面に映し出される映像は、何にも伝えていていないと思った。あんなものはまがい物、嘘の偽物だ。これが海なんだ。この色も、この匂いも、この風も、この温度も。この全てで、海なんだ。これが、真実の、海。
「海、初めて?」
 彼は一歩下がって、そんな私を見つめていた。私があんまりにもきらきらしているから、きっとすぐ分かってしまったのだと思った。
「うん、本物を見るの、初めて」
 隠す必要はないと思った。これだから都会っ子は、とか言って卑下したりする人じゃないと分かっていたから。人の顔色を伺う人生だった私にはそれが本能的に分かっていた。
 私がどんなに頭の悪そうな質問をしても、真剣に答えようとしてくれる少年。立ち止まった私をごわごわの手で力強く引いてくれる少年。素敵な事を言う少年。そして、どこまでも真っ直ぐに見つめてくれる少年。
 その時、心臓が強く鼓動した。
 ドクン。
 その音は体中を響き渡って、外に聞こえていそうな程大きい音だった。その振動で視界は一瞬ぶれて、体がよろけた。
「ここは俺のお気に入りの場所なんだ」
 彼が水平線を見つめて言う。その横顔を見ていると、私の心臓はまたドクン、と強く鼓動した。喘息がひどい時のように胸が苦しくて、でも咳き込んでいなくて。なのに言葉がなかなか喉から出て行ってくれない。喋りたいのに。
 でもこれだけはどうしても聞いておかなくちゃいけないような気がして、力を振り絞って。
「君の名前は?」
 彼は水平線から私に視線を流して、私の右目に真っ直ぐと突き刺して、答えた。
「ハヤト。羽立隼人だ」
 その声に。その視線に。その言葉に。
 私の心臓は、強く鼓動した。

「ほんと、背、伸びたよね」
 終業式が終わって、いつものように一緒に下駄箱にいって、一緒に校門を出た。最上段の扉からなんなく自分の靴を取り出す彼の横顔をみて、初めて一緒に海に行った日の事を思い出していた。
「いまさら」
 あの時は同じくらいか、まだ私の方が少し高いくらいだったのに。バスケット部だったからか、彼の身長は中学に入ってから急激に伸びた。もとから綺麗な顔立ちだったけど、伸びた身長のお陰もあってすごくすっきりして見えて、かっこよくなった。
 私の身長はそれほど伸びていなかったから、視線は彼の胸くらい。、顔を見て話そうとすると見上げなくなくちゃいけないから、首がひどく疲れる。本当はそうしたいんだけれど、頭が悪そうに見えちゃうからそうしない。彼は頭の悪い女が嫌いだったから。だから並んで歩いて、それぞれが見やすい所に視線を送る。そうやって、声だけで会話する。そんな登下校が私達だった。
「さっき、手紙入ってたよね」
 彼が下駄箱の扉をあけて靴を取り出したとき、一枚のメモ用紙のような物が一緒に飛び出してきた。彼は床に落ちたそれを拾って数秒を見つめた後、片手でくしゃっとつぶして、ブレザーのポケットにしまった。
「ああ、あれね」
 多分、ラブレターなんじゃないかな。きっと、携帯番号とかが書いてあって、可愛い文字で、可愛い文章で、連絡をしてくれる事を願った、そんなオトメな手紙。
「学年とクラスと名前と、あと番号書いてあった。誰かわかんねぇ」
 でもまさか、書いた子もこうやってくしゃっとポケットに突っ込まれるなんて、思わなかっただろうな。かわいそうに。
「直接くればいいのにな?そうすりゃ顔も分かるのに」
 彼はそういってポケットに手を突っ込んで、ため息交じりで言った。
それが出来ないからそうしているのに。気付いてあげなよ。過去に何度もそう言い掛けたけど、今日もやっぱり言うのを辞めた。言った所で分からないと思うから。だって、鈍感だもの。そういうの。
「ああ、そうか」
 彼は突然ひらめいたように呟いて、くしゃくしゃにした愛の告白をポケットから取り出した。
「どうしたの?」
「いやさ、俺もこうしてみたらいいのかって」
「え?何?誰に?」
「苧ヶ瀬に」
 また苧ヶ瀬か、と思った。もちろんこれは彼なりの冗談なのだろうけれど、名前も知らないオトメの気持ちも分かる私には、笑えないことだった。愛想笑いを心がけたけど、きっと私の表情はそのラブレターみたいになってると思う。
「俺、羽立隼人。話したいことがあるから、放課後教室で待ってます、とか」
「なにそれ、ちょっと怖い」
「だよな、俺が貰ったらやっぱり怖いな」
 彼は「いい案だと思ったのになぁ」と呟いて、またそれをポケットに押し込んだ。
 私達がこうして帰るようになって、どれくらい経つのだろう。もう随分とこうしているから、きっと彼は疑問にも思っていないのだろう。
 声色だけで相手の気持ちが分かるとか、私も昔はそう思っていた。でも彼が鈍感で、私が彼に惹かれていくほど、本当にそうなのか、疑問に思うようになった。現に私が苦労して作り上げた不恰好な愛想笑いにも気付いてない。もちろん、私の気持ちにも。こうして顔を見ないで歩くようになって、ゆっくりと相手の顔を見る時間が減っていって。 昔は痛いほどだった彼の視線は、もう随分と私の瞳に突き刺さっていない。そして今その視線は、苧ヶ瀬君の背中ばかり追っている。
 せめてそれが女の子だったらよかったのに。そうだったら、きっとこの恋は終わる事が出来るのに。そんな寂しいことって、ないよ。
「最近冬だってのにあったけぇよなぁ」
 そんな私の気も知れないで、のんきに天気の話なんかをし始める。確かにあきれるほどのんきな晴天で、このままじゃホワイトクリスマスなんてずっとやって来そうにない。
「ねぇ、クリスマス、何してる?」
 彼にとっては唐突な質問に感じたと思う。よっぽど鈍感じゃない限り、デートのお誘いだって気付くと思うのだけれど、やっぱり気付きそうにないから、ただの予定確認だった。
「なんもないよ」
 彼は高校でバスケットボール分には入らなかった。高校に入学してすぐにバンドを組み始めて、軽音楽部を作った。幼少から習っていたというキーボードを、バスケットで鍛えられたごつごつの指で弾いていた。そんな彼はやっぱりかっこよかった。
「部活とか、ライブは?」
「なーんもね。他の連中は女だって」
 彼はいじけるようにして道端の石ころを蹴飛ばした。
「なーんかな、そういうの、めんどくさいよな」
 私の胸に、チクっと刺さるこのフレーズ。
 隼人はモテる。身長がすらっと高くてスタイル良くて、顔が綺麗だった。笑うとくしゃっとなる目元が可愛らしくて、それでいてどこかクールで。文化祭でライブをやれば、黄色い声が沢山聞こえた。
 なのに彼は女にあまり興味がなさそうだった。告白されて浮かれたり、へらへら笑ったりとか、少なくとも私の知る限り、無かった。そればかりかどちらかと言えば冷たいくらいで、さっきみたいに一大決心の告白もくしゃくしゃにしてしまう彼は、主に地味な人種から妬まれていた。かっこいいことを、モテる事を鼻にかけているとか、クールぶってんじゃねぇよ、とか。
 彼の最もそばににいる女は、私だった。クラスの中で、誰々がふられたとか、そういう噂話を聞くたびに、私は少し期待してしまう。私だけ、特別なような気がして。
 だから彼のそのフレーズは、胸に刺さる。彼の言う、「そういうの」に、私も含まれているような気がして。
 私だって、クリスマスは一緒に居たいと思う、オトメだから。
 その笑顔を、私に向けて欲しい。
 その瞳で、私を貫いて欲しい。
 そのごつごつした手で、私に触れて欲しい。
 その大きな腕で、私を抱きしめてほしい。
 私だって、年頃の、恋する、やらしい、オトメだから。
 だから、「そういうの」だとばれないようにしなくちゃ。
 だって、嫌われたくないから。
 彼の側に、ずっと、いたいから。
「どっかいくか、24日」
 いつのまにか三メートルくらい先を行っていた彼が振返って、私を見つめた。久しぶりのこの感覚に、思わず涙が出そうになったけれど、それを堪えた。変な女だと思われちゃうから。
「海」
「あ?」
「じゃあ海がいい」
 私がそう提案すると、彼は不思議そうに眉を寄せて、得心が行かない表情だった。
「いいけど、何で海なんだよ?今からだって行けるだろそんな所」
 あの海にまた会いたい。そしてあの日の彼に、出遭いたい。
 そんな夢見たいな妄想は押し付けがましいかも知れない。
「だってクリスマスだもん」
 でもきっと彼は気づかないだろうから。私の妄想は誰にも迷惑をかけないから。そうやってあの日を思い出して、また明日から頑張るんだ。きっとずっと平行線の、この初恋を。
彼は納得いかなそうなだったけれど、仕方なさそうにため息をついた後、目元に愛らしい皺をつくって、くしゃっと笑った。

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