ムナゲのつぶやきへようこそ!

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2010年2月27日土曜日

空色イヤホン 二章「苧ヶ瀬修一」 羽立隼人編


苧ヶ瀬修一は変わった奴だった。  
三年生で同じクラスになり初めてその存在を知った。自分で言うのもなんだが、ルックスが割と良い俺は比較的目立つタイプだし、同じように目立つ奴とつるんでいたし、それなりに顔は広いつもりだ。それでも彼の存在は最近まで知らなかったのだ。つまり、苧ヶ瀬は地味な奴だった。  
三学年になってから数回の席替えがあったが、担任の計らいで(手抜きとも言うが)自由競争になっていたから、俺は必ずと言っていいほど最後尾の窓際の席をキープしていた。授業内容に興味が持てなかった俺は勉学に熱心な生徒とは言い難く、黒板を見る時間よりも校庭を眺めている時間の方が長かったし、ノートも取っていない。睡魔がやってくれば戦おうともしないし、テスト勉強なんてろくにしないから、テストの結果は常に赤点ボーダーすれすれを飛行していた。そんな俺には教師の目が届きにくい最後尾窓際という立地はまさに楽園だった。ちっとも優等生じゃなかった。  
そんな俺には最前列席は地獄に等しい。黒板が見えないと後ろの生徒にペンを刺される事も大変不快だ。身長は高いだけで罪になる場合がある、それは過去に実感しつくした。
最初に気がついたのは三度目の席替えだったと思う。最前列の一番廊下側。入ってくるなりいきなり教師の目に入る場所でもあり、夕方は逆行で黒板が見えないとか、冬場は寒いし夏場は蒸れる。とにかくそんな最低の、競争率が最も低いというか、元から競争が発生しないような席を、好き好んで取っているようだった。  
そんな調子だったから、教室内での俺と苧ヶ瀬の距離は常に最長を保っていた。  
最前列をキープするくらいだから真面目なガリ勉野郎なのかというと、そんな事はなかった。授業中のうち殆どは机に突っ伏していたし、学年順位表であいつの名前が記載されているのを見たこともない。クラスの連中からも勉強が出来るとかなんか特技があるとか、そんな手合いの話は一切聴かない。つまりは、徹底して地味な奴だった。  
だけどあいつ背中は、何か不思議な気配を放っていた。  
俺から最も遠く、暗い場所にいるのにも関わらず、気がつくと俺の視線はあいつの背中に突き刺さっていた。何度も言うが、決して目立つタイプじゃないし、人気者でもない。それなのに、何かあいつの背中には、惹きつける不思議な力がある。  
そんな訳で、別に興味があった訳じゃないが、苧ヶ瀬を観察する機会が多くなった。 と言っても研究とか課題とかそんな真剣なものでもないし、もとより俺の観察力なんて大したものじゃないから、最初は殆ど突っ伏した背筋を見ていたに過ぎない。だけどそんな観察も二ヶ月くらいたって、二回目の席替えを過ぎた時期に、ようやく一つ発見をした。
苧ヶ瀬は突っ伏している時、よく耳にイヤホンを差し込んでいた。うちは私立だから比較的校則は緩い方だったが、それでも授業中に音楽なんて聴いているのはもっての外、ばれれば没収されるのが当たり前だった。俺の方角からイヤホンが見えるくらいなんだから、当然教師からもよく見えていたはずなのだが、不思議とそんな事は起こらなかった。もしかしたら、バレないようにズルをする事にかけては天才的なんじゃないかと思った。 苧ヶ瀬は授業が終わってもイヤホンを着用している事が多かった。そればかりかむしろイヤホンをつけていない時間の方が短いことに気がついた。さすがに体育の授業までは持ち歩いてはいなかったが、どちらかと言えばイヤホンをつけている状態が彼のノーマルとなってしまっていて、俺の中で苧ヶ瀬=イヤホンという方程式が完成するまでにそう時間は掛からなかった。
そこまでになると、今度はどんな音楽を聴いているのかが気になった。俺も音楽はかなり嗜むほうだったから、そこまで努力と危険をおかしてまで聴きたい音楽があるのかと、そんなもんがあるのなら教えてほしいくらいだった。さらに、あいつがつけているイヤホンはそこそこ値の張る高級品で、音の良さで有名なブランドだったから、ますます気になった。俺の使っているイヤホンは違うメーカーで音質に満足していなかったから、どんな音がするのかを試したかったというのもある。クラスで浮いてしまった奴をほうっておけない、なんていうそんな爽やかな俺ではないが、興味を惹かれた奴との会話のきっかけくらいにはなるだろうと思っていた。
そんな事をぼんやり考えながら観察していると、またひとつ新たな発見があった。 四六時中イヤホンを着用していると言っても過言ではない、そんな苧ヶ瀬だったが、肝心の、プレイヤーを手にしている所は一度も見かけなかった。イヤホンは音楽を聴く為のものだから、当然その先にはプレイヤーがあるはずだ。プレイヤーがあるという事は視聴するに当たって操作が必要になるはず。なのに、そんな素振りは一度も見せない。どうせ授業中は暇なのだからと、一日中徹底した観察を試みた事がある。人並み以下の集中力を搾り出しその動作ひとつひとつを注意深く観察したが、プレイヤーを取り出す事はおろか、ポケットの中でこっそり操作するような仕草さえも見せない。イヤホンのコードはブレザーの胸元に向かって伸びているから、胸ポケット辺りに入っていそうなのだが、余程注意深いのか、やはりその現場を押さえる事が出来なかった。 夏休みを終えた段階で俺の出した結論は、「苧ヶ瀬修一はさぼりの達人」だった。
もちろんその間も俺の暇つぶし半分の調査は少しずつ進行していたが、発覚した事実はどれもたいした事のない、普遍的な事ばかりだった。 例えば、自転車通学らしいとか、部活には加入しておらずいつも直帰だとか、彼女がいないとか。 つまり、苧ヶ瀬修平が地味すぎるあまり、周囲から有益な情報は得られなかったのだ。俺からすればあんなにヘンテコで面白そうな奴はいないのだが、それもどうも俺だけに限った事らしい。
6限目の授業が終わって、勝手にその場所に突き刺さった視線を引き抜くのが面倒で呆けていると、有美が顔を覗き込むようにして話しかけてきた。
「なんだよ」
「んー、今日もイヤホンウォッチングしてるのかなぁって思って」
有美は人差し指で両耳をふさぐような仕草をして見せた。その若干大げさなアクションは本来ならぐっと来る所なのだろうが、俺の神経はささくれ立つだけだった。 まぁそれでも彼女の名誉の為に弁解しておくと、そんなおおらかな一面を本人は特に意識なんてしていなくて、割りと自然に見える所が、他のぶりっこ女子に比べて良い所で、こいつの人気を支えている要因だったりもする。
「ああ、今日もいよいよ取り出さなかった」
俺はため息混じりにそう吐き捨てた。もう冬休み前だっていうのに、あれからすっかり習慣化してしまったこのイヤホンウォッチングだった。
「こりないねぇ」
有美は俺の机に腰掛けて、廊下側最前列の席へ視線を送る。
「うっせ」
その通りだった。まったくもってタチが悪い。 もし本気で謎を解こうとするならそれは極めて簡単で、取調べをすればよかった。つまり、苧ヶ瀬本人に直接聴いてしまえば良いのだ。お前ずっと何聴いてんの?って。 別に人見知りする訳でもないし社交性がない訳でもないが、なぜか聴きづらくて、行動に起こせなかった。チャンスは何回もあったはずだが、俺が意を決しているうちに奴はすっといなくなってしまう。そうこうしている間に今度は自分が及び腰になる。
「恋焦がれてますね」
有美が茶化すように言った。
「男色とか、まじで関心しねぇぜ?羽立」
有美の茶化しをきっかけに前席の萩原が会話に混じってきた。
萩原は俺と同じくアンチ優等生な人間で、自分からダメな奴を気取っているつもりだが、その実、ダメな奴だった。こいつとは二年からの顔見知りだが、同じクラスになって以来、いわゆる窓際族の常連だった。といってもそれはあくまで成績面と素行の問題だけで、根は優しくていい奴だ。面白いし、顔もそこそこいいから女にはモテる。しかし基本的にはやはりだらしない奴なので、過去に何人も泣かしてきているというのが、彼の語り草になっている。萩原=女たらし。まぁだいたいそんなキャラで合っている。
「え、あたしショックなんだけど」
「俺にそんな趣味はねぇよ」
「ほら、有美ちゃん、こんな奴やめた方がいいよ?隼人サイテー」
「お前が言うなよ」
そんないつものくだらないやり取りをしている間に、苧ヶ瀬は既にいなくなっていた。やはりというか、授業が終わったら即行で帰途に着くから、いつもこんな社交辞令が必要な顔の広い俺にとって、ますます話しかけるチャンスが減るのである。それが自分の不甲斐なさに対しての言い訳である事も良く分かっていた。
だけどまぁ、居心地が悪いなんて事はなかった。基本的にこのクラス、つまり三年D組のメンバーはいい奴が多くて、団結力もあるし、何より暖かかった。一年、二年での生活で、本当の意味での不良達は隣のEクラスに集められていたから、クラス内で殴り合いの喧嘩が起こることも無くなって、平和を満喫するには最高だった。お陰で、家が近所の有美と一緒に登下校しても面倒な茶化しを食らう事もなくなったし、音楽のフェイバリットを真剣に語り合う事だって出来た。
それだけに、平和ボケしそうなのが怖いくらいだった。
俺と有美は徒歩で通っていた。家が近所で同じ中学という、ちょっとした幼馴染みたいな奴だった。厳密には、有美が中学を入学すると同時に近所に越してきたから世間様の言う幼なじみとは異なるのだが、そんな事は周囲にとっても俺にとってもどうでもいい話だった。  そんな背景だったから、中学時代はそれなりに同じ時間を過ごして、だからそれなりに仲良くなって。そして特に行きたい高校も無かった俺達は、最近出来たばっかりの近所の私立高校へ、つまりここ青海高校の第一期生になる事となった。
決して自惚れている訳ではないが、俺は見てくれが悪くはないから目立つほうではある。身長は一八○センチあるし、顔も割りとすっきりしている。中学時代に精を出したバスケットの名残でそこそこ体も締まっていたし、イケメンとまでは言わなくても、たまに黄色い声を投げかけてもらえる程度にはありがたい身なりをしていた。
有美の方は中学時代から美人で通っていた。こんな田舎に引っ越してきた当時は、都会の雰囲気が漂うその清楚な感じがもてはやされていた。それじゃなくても田舎の人間は都会の空気に敏感だから、有美程の見てくれがそろっていれば、人気が出ない訳が無かった。その上、それを鼻にかけたりする事も無く素直な奴だったから、男子内で熾烈なけん制が行われていた、と言っても大袈裟じゃない。
家が近所だったから登下校で一緒になる事が多かったし、当然のようにそれが習慣になっていった。色恋沙汰とか、そういうめんどくさい事はよく分からないが、とにかく登下校という範囲に置いて有美と肩を並べると言う事は、俺にとっては最早日常だった。 だから反対に、高校に入学してから低俗というか、後ろ指をさされて噂立つのが、本当に面倒で不快だった。
「もうすぐ卒業だしさ、話しかけてみればいいじゃん」
ふいに、隣を歩く有美が切り出した。 「どうせ愛しの苧ヶ瀬君の事でも考えてたんでしょ?」
俺はポケットに手を突っ込んで、このおかしいくらい真っ青な空を見上げて歩いてたもんだから、そんな事を思ったのだろうと思った。 有美は俺と違って観察力があった。と言うより、人を良く見ていた。機嫌を伺う訳でなく、ただ単純に相手を理解しようとしている姿勢は、観察力という言葉で形容するにはバツが悪い。周囲の空気を乱さないように、周囲の女達に極力合わせようとする、そういう気遣いは彼女の優しさというか、純粋さだと思っている。学校では机の上にも腰掛けるし馬鹿な事も言ったりするが、こうして学校を出てしまえば大人しい子だった。引っ越してきた当時から彼女を知る俺としてはこちらの方が有美らしいと思うし、また騒がしいのが苦手だから、ずっとこのままでいられれば良いのにとも思う。だけどそれが難しいのもまた、女社会ってものなんだろう。
「残念、別にあいつの事なんて考えてねぇよ。っていうか恋焦がれてねぇ」
「ふぅん?」  明らかに納得していない返答だった。有美は最近、俺がこうして呆けていると探りを入れてくるようになった。これがクラスの奴なら少しめんどうくさかったかも知れないけど、有美にされる分にはまだ良かった。こいつならどんなにバカな返答をした所で、いまさら俺に対して引いたりしないからだ。
「なんていうか、中学ん頃の事思い出してだわ」
「そうなの?」
「そう、お前と最初どんなんだっけなぁとか」
「なにそれ、喜んであげないよ?」
「喜ばなくていいよ」
有美は、「ははは」と笑った。
有美は高校一年の頃、好きな奴がいて、そして相手も有美の事が好きだった。その頃の俺たちは周囲のうるさい煽りが嫌で、自然と微妙な距離を保っていたから詳しくは知らないのだが、その二人は付き合っていたらしい。
だけど一ヶ月もしない内にその彼氏の耳に俺との噂話が入ってしまった。彼としては二股かけられたような気分だったらしく、有美を問い詰めた。それをきっかけに二人の関係は破局してしまったと聞いていた。風の噂では、彼が俺の事をとやかくいったらしいのだが、フォローを入れなかったらしい。
どうゆう訳だから分からないけど、その時彼の言った事は俺を悪者にするような内容だったんだろうから、その通りだとしたら、俺の事を悪者にして、彼の機嫌さえ取ってしまえば、それで二人の関係は修復できたんじゃないか、と思う。
それでも有美は、俺を責めなかった。既に俺は回りから聴かされていたが、有美本人からは聞いていない。
ばかだなぁ。好きだったんじゃねぇのかよ。
「ねぇ隼人」
「ん?」
「妹さん、どう?」
「ああ、相変わらずだよ」
「そう、早く良くなるといいね」
「ああ、そうだな、ありがとう」
そういえば今年ももうそんな時期なんだな、と思った。妹の調子がこれ以上良くなる事なんてない。だが優しい有美はきっと本気でそう思ってくれている。だから俺も素直に、ここはありがとうと言いたかった。
  自宅に帰るとお袋がせっせと支度をしていたからどうしたのかと尋ねると、妹のお見舞いに行く所だというので同行する事にした。俺は制服だったから、鞄を玄関に投げつけて、財布と携帯だけポケットに押し込んで、助手席に乗り込んだ。後部座席に鎮座したゴルフバッグには、主に妹の着替えが詰め込まれている。そしてそれにうな垂れるようにもたれかかっているのが、駅ビル内にあるティーンズファッションブランドの袋だ。妹は俺の三つしただから今年で中学を卒業する歳で、色々多感な時期だ。特に身なりには気を使うだろうと、こうして着替えを持っていく時には、お袋が数枚選んで買い足している。
母親としては褒めるべき行動なのだろうが、俺にはその行為自体が自虐的に感じる。だって、意味がないじゃないか。そんな事をしても。
いつものように病院の裏手口の駐車場に停めて、係員に挨拶をして、奥のエレベーターに乗り込む。蛍光灯が閉塞感を誇張するように光って、乳白色の壁が生暖かい。息苦しい。俺はいつも思っていたが、この場所が嫌いだった。
五階のランプが光ってドアが開いたら直進して、最初のT時路を左に折れて、数えて三番目。そこが妹の病室だった。お袋が二回ノックして、返答がないままにドアを開ける。
「空音、きたよ」
お袋はすいすいと病室の奥に進んでいく。俺は病室の入り口で深呼吸をしてから、ゆっくりと入室する。部屋には色々な薬品の匂いと独特の金属臭が入り混じった嫌な空気が充満していた。人が生活しているというのに、全く人間臭さを感じない。それがどうにも不自然で不快で馴染めない。
お袋は買い足した服が入った紙袋を窓際に置いて、カーテンをさっと横に流すと、手際よく開錠して、空気の入れ替えをした。ぶわっと入り込んできた空気は俺を通り越して、入り口から抜け去っていく。部屋に冬の潮の香りが運ばれてくると、ようやく俺は呼吸が出来る気がした。 そうして部屋の奥まで進むと、壁で見えなかったベッドが見えてくる。俺の妹は、そこで寝ていた。
「空音、新しいお洋服、持って来たのよ」
お袋は妹の名前を呼んで、紙袋を自身の顔の辺りまで持ち上げた。最近若い女の子の間で流行っているというアパレルブランドのマークがきっちりと見えるように、しっかりと抱えている。これならベッドに寝そべる妹にも良く見えそうだった。
「今日はおにいちゃんも来てるの」
そういってお袋はその紙袋を再び元の場所に戻して、近くの棚に添えてあった花瓶を手にとって、水を替えに行った。俺はそんなお袋とすれ違うようにして妹のそばによって、近くにあった丸椅子をいい位置に移動させて、腰を下ろす。ご丁寧にご紹介されておいて挨拶しない訳にも行かなかった。
「よう、空音。元気か?」
その問いに、答えはない。代わりにカーテンが風に揺られてハタハタと音を立てただけだった。
「んな訳、ないよな」
お袋に聞こえないように、俺はそう呟いた。
妹の体調はよさそうではあった。顔の血色はいいし、肌も荒れていない。ただ、起きない事を除いては。
「どう?具合よさそう?」
花瓶の水を替え終わったお袋が、後ろから通り過ぎざまに俺に声をかけていく。そのまま窓際へ行って花瓶を置いて、ベッドをはさんで俺と対面するような形で椅子に座った。
「ああ、悪くなさそうだ、血色もいい」
「そう、それはよかったわ。きっとおにいちゃんが来てくれて嬉しいのね」
タオルで妹の顔を拭きながらその顔色を伺うお袋。俺の位置からは光の影響もあって、ちっとも嬉しそうには見えなかった。どちらかというと、快眠を邪魔されて不機嫌に見える。
「ちょっと看護婦さんの所行ってくるから、見てて頂戴ね」
  お袋はそういい残して、部屋を出て行った。
見てるってのは、何を見ていればいいのだろうか。このままずっと寝たままの妹を監視する事に、何か意味なんてあるのだろうか。途中で目を覚まして起きてしまうなら、是非そうなってほしい。
だがそんな可能性もない。もう三年もこのままなのだから。
空音がこうなってから、一ヶ月に一度、こうしてお袋は着替えを届けにやってくる。そして洗濯物を引き取って、その都度新しい洋服を持ってくるのだった。もう空音は外を歩く事もないし、友人が見舞いに来る事もないから、その行為になんの意味があるのかは分からない。だがそれはきっと、妹が生きているという事実をより分かり易い形で実感したいからなのではないかと、最近思うようになってきた。
しかし、俺はずっと疑問に思っていた。実は、空音はとっくの昔に死んでいたのではないだろうか。
妹は最早、機械仕掛けの生命維持装置という器官が無ければ生きていくことが出来ない。自分て話すことは愚か、呼吸すらも、自活的には行えない。その器官を停止しただけで、心臓は停止する。つまりそのままで生命を維持できない状態だという事だ。装置によって無理やり呼吸機能を維持させ、点滴によって栄養を吸収させているに過ぎない。偽物の命を与えられているようなものだ。
それは、死体に機械仕掛けを施して立ち上がらせるのと、どんな差があると言うのだろうか。 
だとしたら、お袋の行動は親のエゴだ。生きてて欲しい、という願いの、押し付けた。  俺はここに来るといつもそんな事ばかりを考えてしまう。最愛の妹が目の前で寝ているというのに、なんて薄情な人間なのだろう。妹と再び語り合いたいと願いながらも、彼女の安らかな死をも願っている。それこそまさに、俺のエゴなのだろうか。
立ち上がって彼女の顔を眺める。たしかに穏やかな表情で、お袋がそう言ったのも分かる気がする。彼女は毎日ずっと同じ表情だというのに、見る時、見る人によってこんなに違うなんて。人間の五感なんてのは随分いい加減だ。
お袋はせっせと衣類を詰め込んで、空音の周りの事を着々と片付けて、身支度をした。俺はその間ずっと同じ場所に座って妹を見つめていた。こいつを見ていると俺の心は泣き出したくなるが、それが表情に出る事はなかった。
帰りの車の中、助手席から見る空は先ほどと変わらず真っ青だった。俺の気持ちは底辺を行ってすっかりブルーだったが、同じ青色でも今日の天気とは随分とかけ離れたものだな、とそんな事を思っていた。  病院からすこし離れて海岸沿いの道を走ると、海に煌めく太陽が眩しかった。目に痛かったが、顔を動かす気にもなれない。  そんなとき、昔の事を思い出した。そういえばこんな時、必ずあのお気に入りの場所に行ってたっけ。 明日の終業式は午前中で終了だし、晴れたら有美でも誘って、海に行こうと思った。


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